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「リストカットの事は書かれていなかった、意思に反した整形をさせられた」毎日かあさん西原理恵子さんの娘 鴨志田ひよさんの闇堕ちブログが話題 往生際の意味を知れ!のモデル疑惑も浮上

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ネットで話題
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映画やアニメ化もされた「毎日かあさん」

物語は西原家を舞台に、主婦の日常生活や子育て等を描く。
2004年には第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、
2005年には手塚治虫文化賞(短編マンガ部門)、
2008年に「ダ・ヴィンチ」BOOK OF THE YEAR 2007「泣けた本」第1位、
2011年には第40回日本漫画家協会賞参議院議長賞を受賞する。
毎日新聞社出版局から単行本8巻が出版

毎日かあさん - Wikipedia

西原理恵子の娘のひよさん(鴨志田ひよ)

毎日かあさんの娘側からは同じ風景がこう見えていた、鴨志田ひよさんのブログが話題

家庭の方では、ハロスクール、の時に、無断で私の本名、仕事歴、外見、
精神病をコンテンツとして扱い親が大儲けしていた。
リストカットの事は書かれていなかった。このころ、初めて精神科に行った、
家庭環境を聞かれると直ぐに児童相談所に連絡しますと言われた、
私はそんなことされたら殺されると思い、泣きながらやめてくれと懇願し、
サインバルタをもらって帰った。
そっから私はさらに表に出ることをやめてバイトと趣味に専念して
なんだか無理やり楽しい高校生にしてた。
でも、この期間の趣味たちにはほんとに救われた、音楽だった。
また違う自分の目線も生まれれば、家の中にいる時耳栓をするんじゃなくて、
好きな曲を大きな音で聞くことでどうにか過ごせるようになったし。
部屋にポスターを貼って、猫と過ごしていたら、そこはもう、私たちだけの世界だった。

ある日の事だった、理解ある彼くん、でもないし、分かり合えてる訳でもないし、
正反対で、永遠とぶつかってはつながる、そんな恋人、
つまりめちゃくちゃ健全な恋人とデートする約束があった。
私は基本的に洗面台を長時間使うことを許されては居ないが、
兄は許されている、というか、実家(と言いたくないけど)の洗面所と
ふろ場はガラス張りでスケスケで、洗面所を使う=ふろ場が丸見えということなのだ。
私は用事があるので洗面所を使いたかった。
もちろん長風呂して中で違法アップロードされた
バライティを見ている兄は分かっていても出てこない。
ノックをする。無視。ノックをする。無視。全力でドアを殴る。
ビビってキョドる兄。兄は喧嘩をしたことが無い。

大急ぎで風呂を出た兄は部屋にいる私に向かって廊下からばーか!
くそが!うにゃうにゃー!みたいなことを言っていたので、
私は廊下に出て「お前が死ねばよかったのに」と、13年間思い続けてきたことを言った。
そしたら、喧嘩をしたことがない兄は、顔を殴ろうとしてミスって耳を殴った。
しかしピアスまみれの私には大打撃だった。兄はそういうやつだ。 
その後遅刻して彼に出会った時、
「お前が死ねばよかったのに」という発言を思い返して涙がでた。
お父さんはきっと望んでいない言葉だからだ。

家に帰るとお母さんが怒っていた、大学生がJKと風呂の長さで喧嘩してお母さんにチクっていた。
うける。そんなこと言っちゃいけないのよ、
と言われたので「今度から思っていることは言わないようにします」と言って部屋にもどった。
明日に親戚のおじさんが来ると言われた、
お父さんが居ない私にお父さんの代わりのように親戚のおじさんをよく召喚する。
お父さんはお父さんでしかないのに。
次の日家で吉原炎上を見てたら親戚が来た映画見終わってからでいいよと言われた、
なんだよその気遣い。なんて思った。このとき吉原炎上を見ていて良かったと思った、
肝が座っている私だが、映画に影響を受け、いつも以上に肝が座って、
劇中のかたせ梨乃の佇まいだった。

おじさんは「なんでおいちゃんがここにきちゅうかわかっちょると思うけど、
お母さんの考えでひよは、これから一人暮らしすることになったら、
家族のありがたみがわかるはずや」といった、
「私にあばずれ、クソ女、ヤリマン、ゴミ、そんなふうに言ってたお母さんは
私の個人情報をばらした上に私のメンタルを壊して、
その、個人情報のせいで、バイト先に変なおじさんが来たり、
学校でからかわれたりしたことはなかった事ってことでいいんですか?」と
伝えたおじさんの隣に座るおばさんは、ずっと苦しそうな顔をしていた。
私と同じような言葉をかけられていたからだろう。
反発する私と、反発せずおじさんの横に座ることを決めた人生のおばさん。

「そおゆう言葉はコミニケーションやき、まあ、ね、
そおゆうこともあったのも知らんかったがやけど
まぁこの家に産まれたからにゃしょうがないことや」
そう言われたしょうがないうけるうける能が何が正しいのかわからなくなり
解離して私が私を見ているのがまじまじと分かった。
何も解決しない会話があった高校三年生の真ん中だった。

この頃から、文章が書けなくなった。精神世界の話、というより、
目の前にある全てのものが精神世界だった。バグって見えていた。
それを私は書いていた。もちろん採用?されることは無かった。 
最初は学費も生活費も出さないと言っていたお母さんをほっといたら
AOで受かった大学の入学金を、勝手に振り込んでいた、
お母さんは本気で私のことを捨てる度胸がないからだ。
三学期の家にいる期間、毎日、過呼吸や手首がズタボロになるまで
何かと罵られていたが、そこんとこは病気特有の能が忘れさせてくれていて覚えていない。

ただ覚えているのは、5万円突然渡してきて、受け取って、
ありがとうって言わなかったと永遠と罵られて5万円くれてありがとうございますと
私が泣きながら言う。的なプレイは毎日のようにあった。
あるあるの私のお金がなかったらお前は死んでるんだぞ発言は
普通すぎて能が普通だよ〜って覚えてる。 
なぜ今こんなこと書いてるかっていうと、カウンセリングが進んで
脳が思い出してきてるからで、そして、精神世界に生きていなくなっていて、
外の感覚、皮膚とか温度とか空気とか、
そういうのがやや分かるようになってきて、普通の人のように。

引用元:https://archive.ph/PVKZx

参考 別の日のブログ

お母さんは何を思って私の許可無く、
私の個人情報を書いて、出版したんだろう。

本を出版する、たくさんの人が関わって、たくさんの大人が確認して、
たくさんの人がお金を払って買って、そして私はごはんたべたりする。

最終的に私がご飯を食べているからそれでいいのでは?と、
思ってしまっていたけれど、個人情報をつかって印象操作をしたり、
人が嫌がっていることを無理矢理することはぜったいに許されることじゃない。

出版社に勤務する、普段から言葉に係わり、本を作っている大人たちが、
未成年の個人情報をなぜ無断で書いてそれを販売していいと判断したのだろうか。
それは、お母さん、作者1人の問題じゃない。

子どもを傷つけること、それは未来を傷つけることだ。

参考 12歳の時に二重に

12歳の時ブスだからという理由で下手な二重にされ、
後に自分で好きなデザインで話の会う先生に二重にしてもらったら、
自分のことが好きでたまらなくなった。

たぶん、これが、普通の人がこの世に生を受けた瞬間から
持ってる当たり前の感情なのだろう。

往生際の意味を知れ!のモデル疑惑も浮上

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